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祝!永年勤続、10年間のありがとう!!【渡辺 祐二編】

こいくる業態でBDFを務める渡辺祐二。「一通りの仕事ができるようになったら辞めるつもりだった」と語る彼が、なぜ10年もの年月をファイブグループで過ごしたのか。衝撃的な出会いから、妥協することなく高みを目指し続ける男の軌跡を追った。

【プロフィール】
名前:渡辺 祐二(わたなべゆうじ)。ニックネーム:なべ。
年齢:1989年05月生まれ。
社歴:2012年入社。
アルバイトとして3年間を『居酒屋いくなら俺んち来い。(以下いざこい )高田馬場店』で過ごし、2009年には正社員となる。2013年こいくる業態の中で当時最年少の店長代行となり、2018年に『居酒屋いくなら俺んち来る?〜宴会部〜(以下いざくる )津田沼店』へ異動。同年にはBDF(ブランドディレクターフォワード=エリアマネージャー)に昇格し、現在もこいくる業態でBDFを務める。

※BDF(ブランドディレクターフォワード=エリアマネージャー):数店舗の管理、スタッフの教育を行う。
※「いざこい」「いざくる」の所属業態を通称「こいくる」と言う。


【出会い】痛烈な個性を持った人たちとの出会い

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学生時代に上京した僕が、最初に始めたアルバイト先が、居酒屋行くなら俺んち来い(以下、いざこい)高田馬場店の真横にあるコンビニでした。当時の深夜、午前3~4時くらいになると、必ずと言っていいほど、“俺”というロゴがプリントされたTシャツを着た男女数名がわいわい言いながらお酒を買いに来ていましたね。

見た目も激しくて、「この子たちは何をしてる人たちなんだろう」と思いました(笑)。パッと見たら、横に同じロゴがある居酒屋があって。

興味を持って、飲みに行ってみました。かなり混み合ってましたが、店員が気さくにお客さんと話しながら、テキパキと仕事をしていて。「ここの人たちはすごいことをやってる」「すごい人たちがいるお店だ」という印象が痛烈に残ったことを覚えています。

ある日、勤務先のコンビニに、懸賞付きくじを引きに来た客がいて。その男性が見事に1等賞と2等賞を引き当てたんですよ!それが、当時の高田馬場店の店長だと、後に知ることとなりました(笑)。

思わず「やべえ!」って言っちゃって(笑)。圧倒的に個性が強いメンバーというか、人の記憶に残るメンバーがお店に多くて、「ここで働き始めたら、自分も何か変われるかもしれない」って思って、働き始めました。

──こうして、渡辺はアルバイトとして3年間をいざこい高田馬場店で過ごし、2009年には正社員となって、いざこい立川店で働き始めたのだった。


【キャリア】業態内で最年少の店長代行へ昇格

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当時の店長や、先輩社員(現こいくる事業部部長の小林克也、KBN業態BD(ブランドディレクター)の利根川拓也など)が、とにかくエネルギッシュでした。まだ入社したてだった2人は店舗づくりに取り組む一方で、私に飲食業について、居酒屋について、チームワークづくりについて、学校では教えてくれないようなことをたくさん教えてくれました。

僕自身もそこにやりがいを感じていたので、「この会社に勤めれば、自分もそういう人間になれるのかな」と思ったのが、正社員になった理由ですね。

──2013年には、こいくる業態の中で当時最年少の店長代行となり、全社での年間優秀店舗にも選ばれる。

アルバイト期間が長かった分、実務に関して、わからないことはほとんどありませんでしたね。「あとは店長になるための業務を覚えるだけ」という状態だったので「早く店長になりたい」と思ってて。今思えば、入社当時からすごく生意気なやつでした(笑)。

──着実に実績を重ねたことが評価され、2015年にはいざくる蒲田店のオープニングに携わることになる。行ったことのない土地で、新しい店舗をゼロからつくることに期待を膨らませて異動した先には、苦難の日々が待っていた。


【苦難】「何のために生きてるんだろう」とまで思う日々

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オープニング募集は基本的には応募が集まりやすいとされていましたが、いざくる蒲田店では思った以上に人が集まりませんでした。オープニングの日が迫り、僕自身の中で基準を満たしていなかった人材も採用してしまっていましたね。。。

その経験でスタッフ採用の軸をぶらしちゃいけない、ってことを痛感しました。自分がしっかり向き合いたいと思える、仮にその子が卒業して別の環境に行ってしまっても、繋がり続けられるような。それだけ興味を持てる人を選ばなきゃいけないというのは、今でも教訓になっています。

──その後の2年間は、最初は良かったものの、売り上げは下がり続け、いざくる蒲田店は不振店になっていく。

何のために生きてるんだろう

そんな想いが、僕の脳裏をかすめていました。でも当時の上司や、近隣店舗の社員、アルバイトたちが、力を合わせて蒲田店を良くしようと支援してくれて。改めて「自分は1人じゃ何もできないんだな」ってことを痛感しましたし、だからこそ、「周りの人にしっかりと助けを求めて、手を合わせてやっていかなきゃいけないんだな」ってことを学びました。

──「二度とオープニングはやりたくないと思った」と当時を振り返るが、無事に蒲田店を立て直した渡辺は、店長代行から店長に昇格。2017年にはいざくる船橋店に異動し、再びオープニングに携わることになる。


【本心】ファイブの勝ちパターンに愚直に取り組む

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できることならやりたくはなかったです(笑)。でも、「今オープニングを任せられる人が他にいない」って言われて、「それならやるか」と。蒲田店での失敗があったので、「次は絶対に失敗するもんか」と思っていました。そうしたら、船橋店に異動した時はとても思い通りにいったんです。

──何が成功へと導いたのか。蒲田店と船橋店での取り組みの違いは、ファイブの勝ちパターンに愚直に取り組んだことだと渡辺は語る。

関わる全ての人が楽しくなれる環境をつくること』という創業理念もそうですし、基本五大項目(挨拶・店頭/トイレ・オーダー漏れ・商品チェック・挨拶)やHCSQFA(ホスピタリティ・クリンネス・サービス・クオリティ・ファスト・アピアランス・)など、ハンドブックに載っていることには全て取り組む。アルバイトも巻き込んで、「うちのお店はちゃんとこういうのを目指しているから」と、理念浸透をしたことがやはり大きかったですね。

──船橋店での成功体験を受け、2018年にいざくる津田沼店へ異動。同年にはBDFに昇格することとなる。それぞれ約半年という短いスパンでの変化。環境もやるべきことも、大きく変わる。この数年は、光の速さのように早かったと振り返る。

僕自身BDFになることには、人と深く関わるのが苦手だから、という理由でためらいがありました。それでも了承したのは、挑戦してみないと、店長業務以外の刺激的なものはもう得られないと思っていたからです。それに加えて、僕の仕事に対するスタンスをちゃんとわかってくれている、信頼する上司の一言も大きかったですね。

「職位が人を作ることもある」

僕自身は、どっちかって言うとそのタイプなのかなと思ってるんです。「この人だからこの職位になった」じゃなくて、「この職位になったから、こういう人にならなきゃいけない」っていう。大変ですけど、業態を盛り上げていくために、今はひたすら頑張ってますね。

【将来】カッコいい人間、魅力的な人間であり続けたい

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一通りのことが出来るようになったら辞めて、次のステージに行こうと思っていましたが、結果として今でもファイブグループにいる理由としては、本当に僕は、飲食業とか、居酒屋とか、この会社で関わってくれている周りの人たちが大好きなんだと思います。ここには、かけがえのないものがあります。「自分にできることがまだあるかも」って、可能性を感じさせてくれる環境も大きいです。

そんな僕にとって、ファイブグループとは家族であり、親戚であり、兄弟であり、家であり、部活であり……全てのコミュニティが混在している場所です。「これもそうだな」「あれもそうだな」と思えるのは、とても幸せなこと。そして、誰にとっても、そうなれる可能性のある会社だと確信しています。

「僕自身がもっと可能性を広げてあげられることをしていかないと、会社の発展はない」

そう思った背景には、自分が入社当時の向上心や、上昇志向を持たなくなってきている、という自身の危機感がありました。

これから先、後輩たちが見たときに、どうせならカッコいい人間や魅力的な人間であり続けたいですね。

──渡辺は、今日もまた、自分の生き様を示しながら、自らの可能性に挑戦し続けてゆく。


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