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【勤続10年表彰企画】諦めず挑戦し続ければ失敗にはならない。それこそが成功の秘訣!

中華の名店で料理人として腕とキャリアを上げてきたものの、そこでは皆無だった”お客さんと直に触れ合う機会”を求め、ファイブに入社したという槇雄介。燻製業態の店舗を数多く生み出し、とりとんの今後を展望する槇が10年に及ぶファイブでの経験から得たものとは?

――――プロフィール
千葉っ子居酒屋 燻し家もっくん アルバイト
とりとん事業部BD
槇雄介(38)|通称「まっきー」
2013年入社。中華料理店などで料理の腕を磨いた後、ファイブへ転職。その後、出店ラッシュが続いていた燻製チームを、より大きな業態組織に改変した主要メンバーの1人

一番の達成感は燻製を業態化したこと

ファイブで働いてきた10年間を振り返ると本当に色々な思い出があるんですが、中でも一番達成感を覚えたのは燻製事業をいちブランドから業態として確立させたことです。まだ燻製チームのメンバーだった時代に、立て続けに出店を続けていた時期があったんですが、そんな状況の中で、チュンさん(とりとん事業部の荒川部長)が「燻製チームを業態にしよう!」と言い出し、「だったらやろうか」と僕も賛成して具体的な目標を立てて取り組みました。人手は圧倒的に不足していて、苦労もずいぶん重ねましたが、実現することができました。

燻製のお店って、世間では値段が高いところが多くて敷居も高いイメージがあるかと思うんですが、「うちが入り口になれたら」という気持ちを持っていました。リーズナブルさでも何でもいいから、とにかくお客さんが興味を持ってくれて、「燻製、美味しいじゃん!」という気づきにつながり、どんどん燻製ファンを増やしていく……そういうお客さんたちが、もっくんやとりとんくんに戻って来てくれたらいいな、と考えていたんです。

地方出身のメンバーも多かったから、みんなの地元にお店を出したいという思いもすごく強かったですね。チームから業態というさらに大きな組織になれば、出店や自分たちの可能性がもっと広がるんじゃないかという期待もありました。

10年間の思い出写真

開店ラッシュでいっぱいいっぱいになりながらも、チュンさんと一緒に「将来はこうしようよ」と、あれこれ構想を練っていました。忙しいけど充実してたから、辛くはなかったですね。後になってみると苦労が面白い話のネタにもなるんで、 そういうのも含めて大変なことがあった方が絶対に充実すると思うし、実際にあの頃はずっと楽しんでいました。

燻製業態に切り替わった直後、とりとん事業部へ

確か2020年の11月くらいに燻製チームが業態に切り替わるタイミングで、BD(ブランドディレクター)として現在のとりとん事業部に移ったんです。あの頃は「まっきーさん、燻製のBDじゃないんだ!?」って、みんなに驚かれました(笑)。自分でも全く動揺しなかったと言えば嘘になります。

それまでは、チュンさんから離れることがほとんどなかったので「自分にとって勉強や修行になる」という前向きさと、「うわー、これからなのに……」という無念さみたいなのが混ざった複雑な気持ちで、かなり揺れていましたね。ただ会社としての事情、期待してもらっているミッションももちろん承知していたので、異動しないっていう選択肢はありませんでした。

今の立場になって3年くらい経ちますが、仲間が増えたおかげもあって、ようやく自分たちの手で未来を切り開いていけそうな環境が整ってきました。異動してきた直後にはあんまり揃っていなかった労働環境、チームワーク、将来のビジョンなんかが、みんなの中に生まれ始めているのを感じています。これから面白くなっていきそうで、すごく楽しみにしているところなんですよ。みんなで自分たちの未来について話せるような環境をつくるまでにかかった3年間は、本当に夢中であっという間に過ぎました。

10年間の思い出写真

最初の頃は、仲間がなかなかついてきてくれなかったんですよね。そんな中スタッフの一人から「燻製業態の環境が好きだったのは分かりますけど、比較しないでください」って、面と向かって言ってもらったことがあったんです。その言葉を聞いて、燻製チームで培ってきたものが頭に残っていて、無意識のうちにそれまで通りのマネージメントをしていたんだって気づかされました。

新しい環境に来るとどうしても気負うから、何かやらなきゃ、変えていかなきゃって思いが先行するじゃないですか。燻製での成功体験をもう1回繰り返そうって考えて、以前の環境と比べちゃってたんですね。
もちろん、自分がそんなことをしていたのが分かってショックは受けましたけど、割と早いうちに言ってもらえたのはありがたかったです。

相手の個性や考え方を無視して、「これをやればいいんだよ」みたいなことを言われたら、 仕事が楽しくならないのも当然だよな、自分のことしか考えてなかったって痛感して、すごく反省しました。おかげで、それ以降は今のとりとん業態にしっかり向き合わないと責任者になった意味がないと、考え方を切り替えることができました。

ファイブ入社が人生のターニングポイント

ファイブに入社する前に、けっこう有名な中華のお店で働いていたことがあったんです。そこは調理の専門学校を出た人ばかりが厨房にいるようなお店で、僕は未経験ながら料理の経験を積んでけっこうキャリアも上がっていったんですけど、正直、向いてないと思ってたんです(笑)

そのお店はキッチンとホールが完全に独立していてお客さんとの接点がなく、コミュニケーションを取る機会なんて全然ありませんでした。もともと僕は飲みに行ったり、人と話したりするのが好きなんです。だけどお客さんの感想を聞けないし、そもそもお客さんが食べてる姿すら見えないからモヤモヤが溜まっていました。そういうフラストレーションも、辞める大きなきっかけになりました。

10年間の思い出写真

その後は個人経営のお店で雇われ店長として働いて、1年くらいで辞めました。ちょうど妻の出産を控えていたタイミングで、産まれてきた長男がすごく可愛くて、妻の実家で面倒を見ていたんですが、ふと「そういえば次の仕事も決まってないし、今のままじゃ養っていけないぞ」って気づいたんですよね(笑)

慌ててグルメキャリーを買ってパラパラめくっていたら、ファイブの応募を見つけたんです。飲食の募集広告の文面って、だいたいどこも同じじゃないですか。でもファイブだけは違って、「ここは面白そうだ」って直感してすぐに応募しました。そうしたら本当に面白いし、楽しくて「あー、この会社にして正解だったな」と思って今に至る感じですね。

“楽しい”という無限に解釈できるものを中心に、ものすごく熱く本気で語っている大人がファイブにはいっぱいいます。僕の先輩や上司、他の事業部の人も、そこを本気でやっていてかっこいいですよね。他の会社だったら、楽しい仕事なんか否定されるかもしれないじゃないですか。でも「楽しんでるやつが一番かっこいい」という価値観の下でみんなが動いているので、僕もそういう部分に感化されて大いに影響を受けました。

家族は、自分の「好き」を応援してくれるので、感謝しかありません

これまで自分が好きでやってる仕事を一度も否定したことがない妻には本当に感謝しています。たとえばこの給料で本当に食べていけるのか、不安に思う時期もあったでしょうけど、「他の仕事を探してよ」って言われることはありませんでした。
子供が生まれてからしばらくの間は僕もかなり多忙だったから、ほとんどワンオペ育児のような状態でしんどかっただろうけど、仕事を辞めてほしいと言われることは全くなかったんです。

10年間の思い出写真


僕も家族のために今この仕事をしてるって言ったことはないし、思ったこともありません。 自分が楽しんで働いて、それがちゃんと認めてもらえる会社だから、その気持ちをただ貫いてきただけなんです。
「やりたいって思ってることを辞める必要はないんじゃない?」という言葉を妻からかけてもらい、気づいたら10年も変わらず応援し続けてもらえました。好きなことをやらせてもらっているからこそ、責任感もいっそう湧いてくるんだなと感じています。

失敗してもめげずに続ければ成功に化ける!

仕事に失敗はつきものですよね。もちろん失敗しないに越したことはないんですが、気にしすぎる必要はありません。ファイブは失敗を恐れずにチャレンジすることを応援してくれる会社なので、そこを気にしちゃうのはもったいないことです。

失敗っていうのは、あくまでもチャレンジした結果です。成果が出るまでチャレンジし続ければ失敗もいつかは成功に化けるから、どうすればうまくいくかを考え続けてまた挑戦する。それを繰り返していけば成功につながるものだと僕は信じていますし、その過程には成長が絶対にあるはずです!

10年間の思い出写真

失敗を失敗のまま終わらせないことを僕もファイブで勉強させてもらってきました。僕の特技は諦めないことです(笑)
ファイブには器の大きい責任者がそろっていますし、めげずに続けられる部下や後輩がけっこう好かれる会社なので、怖がらないでどんどん挑戦をしていきましょう!


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