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【勤続10年表彰企画】社長と“同期”にしてファイブ唯一の20年プレイヤー!

創業当初からファイブグループと共に歩み、史上初となる20年勤続表彰を今回めでたく受けた木村順。坂本社長以外にファイブ創設時代を知り、今も会社に在籍しているのは木村ただ一人だけ。創業当時の生き証人である木村だからこそできる、ファイブが歩んできた20年間の振り返りと仲間たちへのメッセージをお届けする!

――――プロフィールとりとん事業部
トレーナー木村順(47)|通称「にーやん」
2003年6月入社。飲食業界で働いていた20代半ばに創業メンバーからのスカウトを受け、ファイブグループへ。ファイブの第1号店『薄利多賣 半兵ヱ吉祥寺店』オープニングスタッフとして勤め、ファイブグループ1人目のアルバイト登用社員に。その後、とりとん、pecoriなど複数の業態や店舗で、店長やBDFなど様々なポジションとして活躍を続けてきた。

ファイブグループの第一歩から20年間

ファイブグループの記念すべき1号店『薄利多賣 半兵ヱ 吉祥寺店』の立ち上げに関わらせてもらってから、気づけばもう20年! いやー、正直なところ実感は湧かないし、ただただびっくりです。あの当時から今もずっとファイブにいるのは、社長以外だと僕だけなんですよね。

かれこれ二十数年前、別の会社でファイブグループ創業メンバー宇佐美さん(現在は関西で独立)と一緒に働かせてもらっていたことがあったんです。そのご縁で「今度、会社を立ち上げるんだけど一緒にやらない?」って誘ってもらったのが、ファイブに入るきっかけでした。
「やるんだったら本気で社員になることを考えてほしい」というお話で、まずは半兵ヱのアルバイトからスタートして、1年くらい経ち、会社が軌道に乗り始めたあたりで約束通り社員にしてもらいました。

高校卒業後は飲食店をずっと転々としてきたから経験はそれなりにあったけど、レストランとかカフェバーみたいなお店ばっかりで、居酒屋は初めてだったんです。しかも半兵ヱって昭和レトロなコンセプトで雰囲気なんかも独特じゃないですか。開業前に他の店舗に初めて足を運んでみた時は「へえ、こういうお店なんだ!」って、ちょっとびっくりしましたね。吉祥寺も良く知らない街だったし、実は僕、お酒も飲めなかったから、あらゆる意味で未知への挑戦でした。

社長とともに1号店の立ち上げ

坂本社長のことは、宇佐美さんと一緒に働いていた頃から知ってはいました。宇佐美さんに会いに、お客さんとしてお店に良く来てくれてたんです。ただ、僕が初めて色んなお話をさせてもらったのは、1号店のオープン準備のため2人で車に乗って合羽橋まで買出しに行った時でした。

余談ですけど、僕だけで買い物してたお店を出たら、さっきまであったはずの社長の車がなくなってて「え、まさか置いてかれちゃった⁉」って、マジでびびりました。でもすぐに「こっち、こっち!」って声をかけられて、見たら社長の車がゆっくり離れて行ってたんですよ! 
他の車の迷惑にならないようにって配慮だったんですけど、慌てて買ったばかりの大きなゴミ箱をいくつも抱えながら追いかけなきゃならなくて。それで、自由な人だなーって思いました(笑)

20年間の思い出写真

その買い出しの車中で、社長から「お客さんだけじゃなくてスタッフも楽しい店をつくりたい、楽しく働ける会社にしたいんだよなー」っていう話をきかせてもらったのが今でも印象に残ってます。まだまだ飲食ってブラック企業だとか、お客様は神様っていうイメージが前面に出ちゃう時代だったのに、そんなすごいことを考えてるのを知って共感したし、この人が経営する会社なら大丈夫だなって安心しました。あの時の社長の想いが今もブレずにファイブの中でしっかり根付いて軸になってるのは、みなさんも良く理解していることですよね。

あとはオープン当日、皆が少しピリついてるなか、初めての朝礼でビシッと締めるのかなって思いきや、社長の口から飛び出したのは「とにかく楽しんでやろうよ!オープンは今日しかないからね」っていう言葉で、心をグッと掴まれました!

社長は言葉遊びがけっこう好きな人だから色々と名言を持っていて、僕が気に入ってるものもたくさんあります。良く覚えてるのは「『商売』は『商い(あきない)』とも言うけど、『飽きない』ことでもあると思うんだよね」というフレーズ。根が飽きっぽい自分でも、接客は好きで得意だと思ってたから、この人のところでなら楽しく働けるなって感じました。

言葉遊び好きな社長のおかげ(?)なのか、僕も営業中にしょっちゅうダジャレを言って、お客さんにも楽しんでもらってきました。だからダジャレのスキルは社長より高いはずですよ(笑)

記念すべきファイブグループ1号店ついにオープン!

ファイブの1号店 半兵ヱ 吉祥寺店にオープニングメンバーとして集まったのは、チェーン展開している飲食店の経験者が多かったけど、マニュアル通りにできない、良い意味で型破りというか、それでいてホスピタリティを持て余してるような子たちばかりでした。

中でも印象に残っているのは、関野くん(その後、独立)。アルバイトで一緒に働くことになったのは大学生がほとんどで、僕だけちょっと年上だったから、扱いにくいって思われてるんじゃないかなって不安もあったんですよ。
でも関野くんが「木村やったら、きむにぃ。にーやんやん!」って関西弁でぐいぐい絡んできてくれて、芸人さんのニックネームを拝借した僕の呼び名「にーやん」が誕生し、そのまま定着しました(笑)
そんな関野くんのおかげもあって、他の子たちともあっという間に馴染めましたね。

20年間の思い出写真

幸いスタッフとの距離はすぐに縮まったんですけど、繁盛店になるまでには数か月くらいかかりました。最初の頃はお客さんに来てもらおうって、スタッフみんな必死であちこち回ってビラ配りなんかもしてました。満席が当たり前っていう状態になるまでには、半年くらいかかったんじゃないかな。でも軌道に乗ってオープンから1年後には連日、開店時刻の30分前にはもう行列ができるようになり、店を開けたらすぐ満員! あれは嬉しかったし、やりがいを感じましたね。

当時ひたすら考えていたのは、どうすれば自分が楽しくなれて、お客さんにも楽しんでもらえるかってことでした。まだそんな言葉はなかったはずですが、「絡む」とか「3メートルルール」とか、今のファイブの基礎になるアイデアがあの頃、自然と生まれたように思います。

そうやって半兵ヱがちゃんと回り出したあたりで、FCじゃなく、自社初のオリジナル業態とりとんを出店しようって話が持ち上がったんです。それで宇佐美さんたちは「俺たち、そっちに行くから」って、半兵ヱの方は僕や関野くんに任されました。

「楽しく働く」は20年たっても変わらない

ファイブに入った当初から「楽しく働く」ために何をしたらいいか考え続け、積極的に実践するという基本的な姿勢は今も変わっていません。それを継続してきた結果、気づけば20年が過ぎていたって感じですね。

仕事に向き合うスタンスは変わらなかったけど、店やポジションはあれこれ変遷してきました。半兵ヱで4年半くらい働いてから、とりとんの店長をやらせてもらって、下北沢とりとんくんに移りました。それからBDFになってpecoriのサポートもやったり、また下北沢とりとんくんに戻ってトレーナーになったり、本当にたくさんの経験を積ませてもらいました。
その中でも強烈に覚えているのは、初めて店長を任せてもらった時の気持ちですね。それまで以上に、仕事に対する強い責任感が芽生えました。

20年で変化したのは“楽しい”の質――自分よりスタッフやお客さんを優先

最近では「スタッフやお客さんの楽しい」が、自分の「楽しい」の一番上に来るようになったかな。周りの子たちに主体性を持ってもらえるように働くのが、自分の喜びに変わってきたんですよ。

僕はサッカーが大好きなんですけど、それで喩えればプレイヤーから監督の視線を手に入れた感覚です。全体を引いて見られるようになったから、何でもかんでも自分でやろうとは思わなくなりました。
もともと人を楽しませたり、笑わせたり、場を和ませたりするのが好きなんですけど、それが、周りの人を輝かせたい、良いところを引き出して成長させてあげたいって意識に進化したって言うのかな。
「楽しく働ける人たちと楽しく働きたい」という気持ちで日々営業しています。

20年間の思い出写真

仕事で人の成長を楽しめるようになったのには、自分に子供ができて、その成長を見守ってきたことも大きく関わってるのは間違いないと思います。今ではすっかり逆に僕のことを応援してくれる心強い存在です。

出会った人たちみんなに感謝!

ちょっと大げさに聞こえるかもしれませんが、この20年の間に出会った人たちみんなに対して、嘘偽りなく、心から感謝してるんです。ファイブに誘ってくれた宇佐美さん、受け入れてくれた坂本社長、一緒に働いてくれたメンバーたち……どこの店舗でもどの時代でも周りの人に助けられ、支えられてきたからこそ、続いたんだよなって思いでいっぱいです。

さかのぼると両親のおかげも大きいのかな。何でも自由にやらせてくれたけど、最低限、他の人に迷惑をかけないで責任はきちんと取るとか、自分で考えて行動するように教えてくれたので。会うたびに元気をくれる子供たちにもすごく感謝してます。

あとは、コロナの時期にお店に足を運んで支えてくれた常連さんたちも、本当にありがたかったですね。あんな状況、誰も経験したことがないから最初はとにかく恐怖が大きくて……だけど事業部内で「方針としては休業、給与も保証される。…だけど行政ルールの範囲の中で数時間でもお店やるよ!って人がいたら本音としては嬉しいし、やってほしい…」って話が出たから「下北沢とりとんくん、やりたい!」って手を上げたんです。

ここでお店が無くなったら本当に悲しいし、アルバイトの子たちも働かせてあげられないのは辛いし、このお店を基点に何年もかけて積みあがってきた色んなつながりを途切れさせてしまってはダメだ、とにかく乗り越えよう! そんな想い頑張ってましたね。

ここを踏ん張れば、きっとまた元に戻れる、みんなで笑って飲める日が来るはずだって祈りながら、営業時間は20時までだし、酒類の提供もできないけど、とにかく毎日店頭に立って「とりとんくんは居るよ!」って街にアピールして、毎日SNS更新して、営業を続けて。会社やお店、スタッフを守ろうって使命感でいっぱいでした。

そういう状況で、賛同してくれた事業部の仲間がお店に集まってくれたし、働けないスタッフの子たちもお客さんとして来たり、手伝ったり、見守ったりしてくれて嬉しかったです。あの時期に支えてくれた常連さんやスタッフさんにはものすごく感謝してます。
営業時間ルールを守っていてもご近所さんから「こんな時になんで営業してるんだ」って苦情もあったけど、ここで折れちゃいけない、会えなくなるのはダメだ、細い糸でもつなぎ止めようって必死でした。

売り上げとか給与とかそういうんじゃなくて、守りたい場所を守りたい人たちが集まって守ってる、そんな時間だったように思います。

コロナ禍っていう前代未聞の苦境に置かれながら、お客さん、スタッフ、お店とこれまでにない向き合い方をしたおかげで、感謝の気持ちが何段階も上がりました。あとは、自分たちがつくってきた「居酒屋」っていう場は必要とされているんだってことも、強く確認できましたね。

20年間の思い出写真

まだまだ現役プレイヤーを続けるぞ!

これからファイブの仲間になる人や、まだ入って間もない人に伝えたいのは、「楽しくするのもつまらなくするのも自分次第!」ってことです。まあ、これは社長の言葉なんですけど(笑)

でも楽しくできるかどうかは、結局、自分次第だっていうのは僕も痛感してます。ファイブグループは、人と出会って“楽しい”が広がるし、発見があって成長できる場所です。
楽しむためには自分からの積極的な努力も必要で、周りのせいにして不平不満を漏らしていても始まりません。どうしたら楽しくなるか考えながら、一緒に頑張りましょう!

僕にとって「”楽しい”でつながる世界をつくる」は、人とつながることで生まれる楽しさ、成長できる楽しさです。自分自身だけじゃなく、周りの人たちの楽しさも喜びになるし、人とつながってこそ楽しさは広がるものだって、僕は考えてます。
表面的じゃなくて、ガチで人と関わるから、相手と向き合って見えてくるものや、気づくことがファイブにはたくさんあるんですよ。相手が誰であっても、それこそ親子くらい年の離れた若い子からでも何か吸収できるものがある! だから毎日が学びと気づきの連続です。

サッカーが大好きだってさっきも言いましたけど、50代になってもプレイヤーを続けてるキングカズのことは本当にリスペクトしてます。カズが現役でいる限り、僕も人として成長できる楽しさを噛みしめながら、これからもお店というピッチでプレイヤーを続けていきたいです!


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